ららぽーとTOKYO-BAY北館 2F の家具インテリアの
アクタス船橋店は,2010年6月27日(月)夜 21:00 で完全閉店した.

巨大ショッピングセンター
ららぽーとは,1981年(昭和56年)4月2日にオープンしたが,その
ららぽーと同時オープンしたのが
アクタス(ACTUS)が運営する
イケア船橋だった.

以来29年間営業をしてきたが,最後の幕を閉じた.

アクタスは,1969年に東京青山にインテリアショップ
青山さるんとしてオープンした.

当時の家具屋は
婚礼家具が主流だったが,北欧
輸入家具を主流にしていく.

1974(昭和49)年に大阪の
湯川家具と
東急百貨店の合弁会社がスェーデンの
イケア(IKEA)の代理店を設立し,兵庫県神戸市に作った
イケアタウン六甲で販売を行っていた.

ららぽーとの前身は,
船橋ヘルスセンターだったが,地盤沈下防止のために温泉のくみ上げが禁止されたこともあり,1977年5月5日で営業を終了した.

建物のほとんどは取り壊されたが,円形のお風呂の建物と巨大ローラースケート場の建物だけはしばらく残されていた.


そのローラースケート場は,
家具の倉庫と店舗としてとして営業していた.

それが,
アクタスの前身
青山さるんだった.
▼2010年6月27日(月)で閉店した. ▼すでに,新しい店舗の工事が始まっている.


1981年(昭和56年)4月2日に,巨大
ららぽーとショッピングセンターがオープンする.
青山さるんが運営母体となり,
イケア船橋がオープンとなったのだ.


しかし,当時の
イケア船橋は,海外の
イケアの店舗より規模が小さかったこと,日本の家庭には合わない欧米仕様の家具サイズが多かったこと,組み立て式家具(ノックダウン家具)だったこと,当時はまだ為替の関係で価格が高かったことなどから,1986(昭和61)年に完全撤退することになってしまった.

その
ららぽーとの
イケア船橋を,
アクタス(ACTUS)が引き継ぐことになったのだった.

イケアは,2001年に日本再進出を決定し,2002年7月にイケアジャパンを設立.

約4年の準備期間を経て,2006年4月24日に船橋市の屋内スキー場
ザウス(SSAWS)の跡地に
イケア船橋がオープンする.
アクタスのあつかう
家具の価格帯は
イケアと異なるが,少なからず影響があったに違いない.
アクタス船橋店跡地は,
H&M(エイチアンドエム)になるが,29年を経て
イケアと同じスェーデン発祥の企業になるというのは,なんとも不思議な因縁といえる.

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(2006年05月06日)
あのとき、イケアの場所には(2)